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第一次世界大戦から生まれた火種はやがて世界を覆う戦火となった

第一次世界大戦の敗北と世界恐慌

1914年、オーストリア=ハンガリー皇太子暗殺を起因として勃発した第一次世界大戦は中央同盟国の敗北という形で幕を降ろした。

その時開かれたパリ講和会議において、敗戦国ドイツに対し、大戦を引き起こした責任として莫大な賠償金や軍備の縮小、そして海外領土の放棄が課せられるヴェルサイユ条約の締結が求められた。

この要求の受け入れは屈辱と同時にドイツ国内の不安定さを促進させ、戦争復興は遅れていった。

この状況に対し、欧州の情勢による自国の利益の影響を考えたアメリカの資本介入もあり、ドイツは政治面での不安定さは続いていたものの、経済面においては復興の兆しを見せ始めていた。

しかし、一抹の希望が見えたドイツを再び突き落とすかのように、1929年に発生した世界的大恐慌の煽りをうけてしまう。

アメリカ資本が次々にドイツを離れ始めると、国内は失業者であふれ返り、経済はこれまで以上に悪化していった。

独裁国家の誕生

そんな中、ドイツ国内ではヴェルサイユ条約に基づいた体制の打破を掲げるヒトラー率いる政党「国家社会主義ドイツ労働者党」通称ナチスが台頭し始めていた。 ヒトラーは巧みな演説で、現在の民主主義を廃し、社会主義によるドイツ労働者の生活の保障や、ゲルマン民族至上主義を唱え民衆の心を掴み、1930年にはドイツにおける第二政党の地位を獲得した。

ナチスはその後も富裕層からの支援を受け、1932年の大統領選に出馬したヒトラーの飛行船やマイクを使った過去に類を見ない演説は人々に深い印象を与えた。 結果として大統領選に敗れたものの、同年開かれた選挙においてナチスは見事第一政党となり、ナチスと対立する人間を次々と退けたヒトラーが首相へ就任した。

ヒトラーは、さらに地盤を強固なものとするために全権委任法を可決させ、全ての権力を自らへと集約させた上で、ナチス以外の政党を禁止させた。

そして1934年、在任中の大統領が死去した報を受け、ただちに大統領の職務を首相へと移す法律を発案。 この法案は国民投票において圧倒的支持を受け、ドイツはフューラーたるヒトラーの独裁国家へと変貌を遂げた。

軍事行動の拡大

ヒトラーはヴェルサイユ条約において決められた軍備縮小の条項を破棄すると再軍備宣言を行い、軍備拡張を推し進め、生存圏の拡大を目指していった。 その間、日中戦争によってアメリカ、ソ連との関係が悪化した日本と結びつき、イタリアを加えて列強との関係が悪化しつつあった三国の結束を深める協定が結ばれることとなった。

軍事力をつけたドイツは、スペイン内戦への干渉を皮切りに、1938年には軍事的恫喝を背景にオーストリアを併合しその支配下に入れると、続いてチェコスロヴァキアのズデーテン地方、リトアニアのメーメル地方を併合し、着実にその領土を拡大させていた。

さらにポーランドに対して、東プロイセンへの通行路ポーランド回廊及び、国際連盟管理下の自由都市ダンツィヒの回復を要求するものの、一連のドイツの軍事行動に対し消極的な干渉に留まっていた、一次大戦の戦勝国であるイギリスとフランスがポーランドへの支援を公表する。

第二次世界大戦の幕開け

しかし、ドイツはポーランドへの2カ国の介入をさせない手段として、秘密裏にソ連への接触を行うと、1939年8月23日、ポーランド、エストニアといったヨーロッパの独立国の分割を記した秘密議定書を含んだ、独ソ不可侵条約を締結する。 宿敵であるはずのドイツとソ連の条約締結は世界情勢に風雲急を告げ、イギリスとフランスはただちにポーランドとの相互援助条約を締結

来る1939年9月、ヒトラー率いるドイツ軍はポーランドへ侵攻を開始。 9月3日、この行動に対しイギリスとフランスは条約に従い宣戦布告。 まさにこの時、第一次大戦終結から生まれた小さな火種が未だかつてない戦火を生み出そうとしていた。