連合艦隊最後の作戦であるレイテ海戦での敗北により、
連合艦隊の主力を失ってからの日本の守りは、
陸海軍の防空戦闘機隊に委ねられることとなった。
というのも、アメリカがグアムやサイパンから
B-29で長駆飛行の戦略爆撃を行ない、
日本の工業力の根底を脅かしていたからである。
そのため日本の抗戦能力は日を追う毎に目に見えて低下していった。

しかし、護衛がつかないB-29は本土防衛隊による
撃墜などの被害も多かった。そこでアメリカは本土爆撃の
護衛戦闘機の発進基地として、またB-29の緊急着陸用の
基地としてマリアナ諸島から日本本土への直線上にある
硫黄島を攻略する作戦を立案した。

この作戦は日本も予想しており、設営隊と
戦闘隊約21,000名を硫黄島に配置し、
硫黄島の要塞化を始めていた。