中国は来るべき対日戦の備え、アメリカ・ソビエト
・イギリス等の列強国に参戦を打診した。しかし、
欧州ではドイツの猛攻激しく、内密に物資援助は
約束したものの、対日戦への参加は難色を示した。
この背景には、常任理事国である日本との関係悪化を
極力避けたいという各国の思惑や、戦時国際法上の
中立義務を考えてのことであった。

 1941年、長期間の不戦状態が続いた事で国民党と
共産党の亀裂は次第に広がり、両党間の統制は悪化の
一方を辿っていった。この事を察知した日本軍令部は
この機に乗じて、中国への侵攻を再開する事を満場一致で
可決し、秘密裏に国境付近に部隊の配置を行い、
万全の体制を整えていった。