第一次大戦以降アメリカは国民に対し、
欧州方面の戦争に巻き込まれない方針をとっていた。
しかし、欧州で猛威すドイツが
欧州を手中に収める前に対抗する必要もあった。
1940年9月27日、日本が日独伊軍事同盟を結ぶと、
アメリカは日本に対米戦をさせることで、
太平洋と欧州両面に参戦出来るように
日本の生命線とも言うべき
液体燃料の禁輸を行う計画に乗り出した。
実際、満州、中国北部、日本本土など
広大な領土を有する日本ではあったが、
液体燃料の産出地域はほとんど含まれておらず、
国内の人造石油技術も実用化にはほど遠かった。
海国である日本の立場上、米英に対抗する強力な艦隊は
当時の世界情勢の中では必要なものであり、
燃料の備蓄も対米戦をして2年分を有するまでに至った。