連合艦隊最後の作戦であるレイテ海戦での敗北により、
連合艦隊の主力を失ってからの日本の守りは
陸海軍の防空戦闘機隊に委ねられることとなった。
というのも、アメリカはグアムやサイパンから
B-29で長駆飛行の戦略爆撃を行ない、
日本の工業力の根底を脅かしていたからである。
そのため日本の抗戦能力は
日を追う毎に目に見えて低下していった。
1945年2月、そのような状況下でアメリカが
本土爆撃の前線基地として必要とした硫黄島を巡って
争われた戦いは、日本軍の徹底した戦略的持久作戦により、
寸土を争う激戦となった。
当初5日で同島を占領するとしていた
アメリカの意図に反して、35日間もの長期戦になり、
最終的にアメリカの死傷者は2万4千名に上った。
多大な犠牲を払い硫黄島は
アメリカの支配下においたのである。