大日本帝國
駆逐艦
若竹

【解説】
駆逐艦樅の改良型で、日本最後の二等駆逐艦。当初13隻建造される予定であったが、ワシントン条約により八八艦隊計画が中止となり、建造されたのは8隻だけであった。当艦の艦名は2回変更され、1番艦を例に挙げると、計画時の桔梗から第二号駆逐艦になり、竣工後の1928年に若竹となっている。大戦中は対潜や船団護衛任務に従事し、広範囲に渡り活躍したが全艦沈没している。なお、5番艦朝顔は1945年8月22日に下関港で機雷に接触して沈没しており、終戦直後という事もあって、地元では「まだ戦争は続いてるのではないか?」といった噂が流れ、一寸した騒ぎになったらしい。