怪力乱神「藤堂高虎」

浅井家の家臣。

飄々とした性格で雲の様につかみどころが無く、自分の好きな様に過ごしているので、一見、不真面目に見える。しかし、実際は人よりも多くの知識と明確な考えを持っており、いざという時には力を発揮する。

文武共に武将としての能力は高いが、それを鼻にかけることなく誰とでも接するので、多くの兵から慕われている。

CV:水口まつり デザイナー:譲葉

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史実紹介

 戦国時代から、江戸時代前期にかけての武将。伊勢津藩の藩祖。浅井家の家臣だったが、その後は豊臣秀吉や徳川家康など、主家を転々とした。築城の名手であり、宇和島城、今治城、津城などの築城に携わった。身長6尺3寸(約190cm)の大男だったと言われている。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という高虎が残した言葉通り、何人も主君を変えたことから、変節漢あるいは走狗といわれ、否定的に描かれる傾向が多い。
 しかし、戦国時代の日本では、家臣は自分の働きに見合った恩賞を与え、かつ将来性のある主君を自ら選ぶのが当たり前であり、何度も主君を変えるのは不忠でも卑しい事でもなかった。