百人並の武勇「百武賢兼」

己の肉体のみを得物として戦うさまから、百人並みの武勇を有すると賞される、龍造寺四天王の一人。

豪快でお調子者な所がある大男。家中でも有名な恐妻家として知られている。妻の美代は、威勢がいいらしく口答えをしようものならヒドイ目にあわせられるらしい。

CV:山本兼平 デザイナー:京作

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史実紹介

 龍造寺四天王のひとりで、「自若年武封百人因慈可禰」と龍造寺隆信から百人並みの武勇を有すると賞され、百武姓を賜る。龍造寺軍の中核として、その武勇で各地に転戦し、武功を挙げている。
 主君の龍造寺隆信が筑後国蒲池の蒲池鎮漣を謀殺し、その一族を冷酷に皆殺しにしたことには同意出来ず、柳川の戦いには、出陣を促す妻に対して「こたびの鎮漣ご成敗はお家を滅ぼすであろう」と答え、しきりに涙を流し、ついに最後まで出陣しなかった。ちなみに妻も男勝りの性格と伝えられている。
 賢兼の感慨通りに、龍造寺隆信の蒲池氏に対する所業は、田尻鑑種や黒木家永など筑後国の諸将の離反を招き、龍造寺氏没落の起因ともなる。島津氏(沖田畷の戦い)との戦いにて主君龍造寺隆信と共に討死した。