“風”林火山「内藤昌秀」

『風』の名を与えられた、優秀で美丈夫な家臣。

後方の兵站線の確保から内政に至るまで幅広くその力を発揮し、『風の如く内藤』と呼ばれている。速さを何よりも重視していることから、身軽な格好を好んでいる。自信家に見合う実力の持ち主で親しみの持てる人物……なのだが、すぎた自己愛が全てを台無しにしている。巨乳に対する嫌悪感が強く、見ただけで吐き気を催す程。

CV:石原大彦 デザイナー:京作

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史実紹介

 内藤昌秀(ないとうまさひで)または、内藤昌豊(ないとうまさとよ)
 武田四天王一人。武略に長け、武田信繁と共に武田の副将格として評された。『甲陽軍鑑』にも、山県昌景が昌豊のことを「古典厩信繁、内藤昌豊こそは、毎事相整う真の副将なり」と評したと記している。
 昌豊は信玄の代表的な戦争に全て参加し、常に武功を立てていたが、信玄からは一度として感状をもらうことが無かった。
 このことについて「甲陽軍鑑」で信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれば、常人を抜く働きがあってしかるべし」と評して敢えて一通の感状も出さなかったというし、一方の昌豊も、「合戦は大将の軍配に従ってこそ勝利を得るもので、いたずらに個人の手柄にこだわることなど小さなことよ」と感状を貰っていないことなど気にもかけなかったという。
 これは信玄と昌豊の信頼関係の厚さを示すものである。