帝都某所。
会議室には、三人の壮年がいた。
一人は見るからに豪胆そうな白髪の巨漢。
一人は線の細い、見るからに知性的な痩躯。
一人はひょうひょうとした気の良さそうな御人である。
三人のいささか老いた男たちは、のんびりと会話をしている。
本多万勝
本多万勝

水だと思ったら焼酎だったのだ。あんときゃヤバかったな

この男、名は本多万勝。四柱臣家がひとつ、本多家の当主。
見た目通りの武辺者である。
近代戦闘に、勇猛さは不要とはいえ、まだまだ戦の主役は兵である。
本多万勝は兵の士気を高めることにかけては、右に出る者はない。
榊原賢政
榊原賢政

万勝、暴れて机を壊したそうだな。このご時世、無茶はいかんぞ

この男、名は榊原賢政。四柱臣家がひとつ、榊原家の当主。
精密機械とも称される智将である。官僚的な思考をするが、国際情勢に通じ、大局的にものを見ることができる。
井伊直士
井伊直士

本多殿はあまり飲めないのに無理するから

この男、名は井伊直士。四柱臣家がひとつ、井伊家の当主。
人生気楽がモットーの男である。反面、井伊の立案する作戦は堅実で隙がない。
奇策というのは一種の博打であり、いたずらに奇策に頼るのは愚将である。
なれば井伊という男は、少なくとも愚将ではなかった。
徳川の四柱臣家の当主は、無能では勤まらないのである。
三人がいる会議室には、御簾がある。
その向こうには、現在人影は見えない。
だがそこには、不思議な気配だけが存在する。
三人の初老たちを、一瞬でただの幕府に仕える機械と変えるなにかが。
それを前にして無駄話をするのは、実は結構な胆力がいる。
井伊直士
井伊直士

暴れる本多殿を、三人がかりで止めたらしいじゃないの

本多万勝
本多万勝

馬鹿なことを。一個小隊でだ

榊原賢政
榊原賢政

万勝の酒乱は変わらんな

本多万勝
本多万勝

酒に呑まれるなというのは凡人の話。呑まれきってこそ武人というもの。呑んでもかわらぬナオやそもそも呑まぬケンはまだまだ青い

榊原賢政
榊原賢政

何をいってるかまったくわからんぞ、万勝

井伊直士
井伊直士

呑まなくても、じゅうぶんテンション高いからねえ君は

本多万勝
本多万勝

ところで聞いたか、真田の話

榊原賢政
榊原賢政

うむ、聞いた

井伊直士
井伊直士

なんでも、旅順の鬼と瓜二つらしいねぇ

本多万勝
本多万勝

……旅順の鬼……真田幸春殿……か

榊原賢政
榊原賢政

血統だけで戦はできん。我らが当主たりえるのは、家の伝統と鍛錬のたまもの

井伊直士
井伊直士

若き真田は、鬼を……継いでいるのかねえ

???
???

それは、お主らの目で確かめよ

そのとき、会議場の扉が開いた。
現れたのは、小柄なる影である。
酒井忠
酒井忠

待たせてすまぬ

本多万勝
本多万勝

忠、真田の若造と?

酒井忠
酒井忠

うむ

榊原賢政
榊原賢政

旗印に足る男だったか?

酒井忠
酒井忠

うーむ。いささか地味かの

井伊直士
井伊直士

ぶっちゃけタイプだった?

酒井忠
酒井忠

不躾な問いにはノーコメントじゃ

本多万勝
本多万勝

六文銭などに勅命を託すとは

本多は挑発するようなことをいう。もちろん本気の挑発ではない。
からかい半分のものだ。
酒井忠
酒井忠

使えるものは使わんとのう

井伊直士
井伊直士

楽しそうですな、酒井殿

酒井忠
酒井忠

真田の戦、見ものじゃぞ?

榊原賢政
榊原賢政

六文銭の戦は、始末が悪い

井伊直士
井伊直士

大阪冬の陣において、負け戦とわかっているにもかかわらず、徳川を挑発し続けたは真田

酒井忠
酒井忠

真田の挑発にのって徳川は大損害を出した。秀頼のヨメが怖気づかねば、大阪は持ちこたえたかもしれぬ

榊原賢政
榊原賢政

だが、真田が奮起したことが、かえって神君の逆鱗に触れたのでは

酒井忠
酒井忠

そうかもしれぬな。じゃが、そういう戦だからこそ見ものだという

井伊直士
井伊直士

近代戦に紛れはありませぬ

酒井忠
酒井忠

それは甘いぞ井伊。真田はその紛れをつく

榊原賢政
榊原賢政

だからこそ、真田を使う者は、戦に幻想を見てしまう

本多万勝
本多万勝

戦ってぇのは、騙し合いだろうがよ

井伊直士
井伊直士

本多殿がそれをいうと、意外だねえ

酒井忠
酒井忠

戦の見せる幻想が作り上げたのが、今の世界かもしれぬのう。すべてが幻想なれば、それを掻き立てる者がいてもよかろう

榊原賢政
榊原賢政

(酒井は、真田の幻想をもってこの国難を塗り替える気か)

優れた指導者は、シングルイシューでは動かない。
何かすればそれに五つや六つの意味がついてくる。
井伊直士
井伊直士

……イヤハヤ心臓に悪い話ですなあ

井伊は将である。この男の作る戦は、真田のそれとは相反する。
無論井伊は堅実なだけの男ではないが、真田の名につきまとう直感や冒険主義は井伊の主義とは相容れぬものだ。
一方、真田一族の戦とは勝利を得るがためにあらゆることをする戦である。
どのような不名誉も、不合理も、勝つためならば甘受する。
井伊直士
井伊直士

(……気に食わないけど……今は皇国そのものが死力を尽くさねばならぬと、そういうことなのだろうね……)

井伊が似つかわしくない憂鬱を覚えたそのとき、御簾の向こうより声が聞こえた。
小姓
小姓

一同、ひかえおろう

四将は再び敬礼した。
御簾の向こうで、伴を連れた人影が現れ、奥に設えられた玉座に座した。
会議室に緊張が走る。
四将が前にしているのは、この国の”帝”であった。
諸将たちは、一瞬にして統治機構を形成する歯車となる。
彼らはまさしくこの場を支配する空気そのものとなった。
酒井忠
酒井忠

(さて、始めるとするかの)

これより始まるのは、御前会議である。
酒井忠
酒井忠

現在天下は修羅の巷。皇国は必死で生き残りの道を探らねばならぬ

酒井忠
酒井忠

弱ければ負ける、馬鹿ならば滅ぶ。弱くて馬鹿なら地図から消える。日の本は日露以来の国難に見舞われておる

いわれるまでもなきことであった。
前大戦において、欧州では家族の誰かが戦で死んだ。
皇国の民が想像したことも無いほどの戦である。文明は人間を暴力から遠ざけはしなかった。
かかる戦について皇国は多くを学んだが、特に大きな教訓がひとつある。
列強と呼ばれる強国の横暴と、すさまじいまでの無法ぶりである。
酒井忠
酒井忠

塩素ガス、ホスゲンガス、イペリット

本多万勝
本多万勝

……化学兵器……か

酒井忠
酒井忠

然り。前大戦においては化学兵器の使用により130万人が死んだ。戦間期全体の総死者数にくらべれば微々たる数よな

榊原賢政
榊原賢政

(大戦の死者総数……3700万……)

現在、皇国の人口は6000万弱である。
酒井忠
酒井忠

このようなモノをつかって戦をするものは、人外の悪鬼といって差し支えがあるまい

一同、押し黙るよりほかはない。
酒井忠
酒井忠

列強は技術と富をもつ怪物、黙っていれば食われる

さらにいえば、皇国は列強の強国全てに因縁がある。
本多万勝
本多万勝

アルメリカとブリタニアは太平洋の覇権をめぐる宿敵、ソルビエスとはもとより不倶戴天の間柄

本多万勝
本多万勝

そしてプロイセンも前大戦における我らの敵にして、日露戦争の黒幕である……手放しに信頼できたものではない

榊原賢政
榊原賢政

よくもここまで敵を拵えたものだ

ただモンゴルス一国を恐れていればよかった時代は、なんと平和だったことか。
井伊直士
井伊直士

なんとも嫌なのは、列強諸国それぞれが宿痾を抱え、なおかつ戦もやむなしという気運が広がっていることでしょうな

本多万勝
本多万勝

大恐慌が人心に与えた影響はあまりに大きい

大恐慌は、経済に対する人々の不信を煽るに十分であった。
経世済民が立ちいかぬということは、つまり国への信頼が失われるということでもある。
国家は信頼でなりたっている。信頼の破壊とは、国家の破壊。
破滅の道に他ならない。
榊原賢政
榊原賢政

……働いても、食えぬとあってはな

井伊直士
井伊直士

今や国家の台所は、地球儀を見なければ語れませぬからな

酒井忠
酒井忠

真田には中天方面軍の司令官として着任してもらう。のちに真田は、大陸居留民を保護するために兵を動かす

本多、榊原、井伊の三将は一斉に首を縦に振る。
酒井忠
酒井忠

植民地の平和を守るためだ、諸外国に避難されるいわれはない。むしろ挑発を繰り返し居留民に略奪暴行を繰り返す中天とモンゴルスからの侵攻軍こそ責を負うべきである

酒井忠は冷たく言い放つ。酒井の当主が語っている内容は、この時代にあっては実に穏健な思想であった。
挑発は宣戦布告と同じであり、それを甘んじるのはただの脆弱である。
本多万勝
本多万勝

だが、中天との開戦という事態を招いた責任は、あくまで真田にあり……というわけか

ここまでの話は、すでに四人には織り込み済みである。
中天に赴任した真田が、勝手に兵をあげる。
それをもって皇国軍はやむなく中天へと侵攻し、
反対勢力を抑え満州……引いては中天を自軍の経済ブロックに加えるのである。
もしも中天への介入が失敗したら、詰め腹を切らされるのは真田。
勝ったとしても、暴走の責任をとらされるのは真田。
下真田が、英雄になることはない。そのはずである。
……だが諸将の脳裏には、真田幸春の顔がある。
真田幸秋の祖父であり、日露戦争においてソルビエスを震撼させた男である。
榊原賢政
榊原賢政

(真田の旗印をかかげての工作……政としては、ない話ではない)

本多万勝
本多万勝

(だが戦にあって、真田の血は花開く。果たして汚名だけですむものか)

己の祖先である本多忠勝が関ヶ原で敗れた真田一族をとりなしたのは、
己の娘を嫁がせたからであるが、心中はこう思っていたのかもしれない。
本多万勝
本多万勝

(……六文銭が散る場所は、戦場をおいて他にはなし)

きっと先祖は、己が戦場で首をあげるつもりであったのだろう。
忠勝は大阪冬の陣を前に死んだ。
井伊直士
井伊直士

(ソルビエスの残虐非道に対しても、幸春殿は眉一つ動かさなかったというなぁ)

真田幸春という男、冷徹という風ではなかった。
伝えられるところ、幸春は戦場において実に淡々としてたという。
これが伝え聞く真田の血、戦場を故郷とする一族の血統であろうか。
信州真田郷の土豪、真田家の名が世に知られるようになるのは戦国乱世のころである。
真田一族は甲斐の武田信玄に仕えていたが、武田の滅亡後は、
真田当主真田昌幸と次男の信繁は豊臣につき、長男の真田信之は徳川につく。
徳川と豊臣、いずれが勝っても真田の血は残る。
戦国乱世の小大名らしい強かさのなせる所業であろうか。
このうち徳川についた真田信之の妻こそが本多万勝の先祖である本多忠勝が娘、
小松姫である。世に言う黒い真田、徳川家臣である真田家とはこちらをいう。
だがこちらの真田は、今の世となっては誰もが知る”真田”という家名。
世の人がいう真田の侍とは……ただ一人。
真田幸村のことであろう。
幸村という名こそは、豊臣側についた真田信繁の異名である。
この幸村こそ、幸春、そして幸秋の先祖にほかならない。
榊原賢政
榊原賢政

独断の責を五大武家に負わせるわけにもいかん

酒井忠
酒井忠

その点、赤真田、家格の割に名がしれている

井伊直士
井伊直士

人が真田を侍と呼ぶのは、ひとえにこれ、神君と干戈を交えたからでございますがな

本多万勝
本多万勝

真田の名は神君あったればこそ、いうまでもない

榊原賢政
榊原賢政

真田の首には鈴を?

酒井忠
酒井忠

無論じゃ

榊原賢政
榊原賢政

(……なるほど、それこそ黒い真田の役割か)

井伊直士
井伊直士

その後皇国軍は、中天の反抗勢力とモンゴルスからの侵攻勢力を退け、満州の制圧を完全なものとする

井伊はすでに何度も協議したことを帝の前で繰り返す。
榊原賢政
榊原賢政

満州の資源があれば、我が国の命脈はしばらく保たれよう

酒井忠
酒井忠

……関税の壁に阻まれ、世界の民が食いあぐねる時代よ……。満州は皇国の糧となってもらわねばな

井伊直士
井伊直士

しかし酒井殿、中天への侵攻を、列強が黙っていますかな

酒井忠
酒井忠

黙ってはおるまい。そもそも満州の存在を、黙認できはせぬだろう

井伊直士
井伊直士

なれば、連中がこちらを侮っているうちに……ですな

本多万勝
本多万勝

フン、腰抜け政治家どもめ。連中が素直に制裁措置を閣議決定しておれば、このような面倒をせずにすんだものを

本多の口ぶりには、本心よりのいらだちがあふれている。
だがこの本多、けっしてただ好戦的なのではない。
本多万勝
本多万勝

(国家として毅然としておらねば、中天への示しがつかぬだろうが)

侵略こそ毅然と行うべし。徳川は己の正当性を訴えることを忘れなかった。
だが近代教育を学んだエリート共は、民が苦しんでいるというのに、この期に及んでもひよっているのだ。
酒井忠
酒井忠

(……だが、この国の政治家共、けっして本多のいうようなヘタレどもではない。むしろ己から反対してみせることにより、中天への侵攻を煽っておる節もある)

皇国は中天を侵略しようとしているのであり、復讐や虐殺をしにいくのではない。
政治家たちの中には、列強に皇国を売り渡そうとする輩が存在する。
酒井忠
酒井忠

(今のところは、そうした政治家は泳がせているがのう)

いざとなれば粛清を進めねばなるまい。
酒井は含み笑いをもらす。本多、榊原、井伊はぞっとする気配を感じた。
榊原賢政
榊原賢政

万勝の言う通りだ。現在、中天に暮らす皇国民も数多い。彼らを守るは軍人としての急務

井伊直士
井伊直士

方々の武人ぶり、この井伊も心強く思います。……しかし私には、政治家たちの思惑もわからんではありませんで

榊原賢政
榊原賢政

……すると

本多万勝
本多万勝

議員たちが見ているのは、中天の後ろに控えし者たち、ということか

列強各国はいずれも、中天を征服するは吾にありと考えている。
なかでも動きが激しいのは、現在世界において最大の国家……世界大恐慌の引き金を引き、
あまつさえ世界を混乱に導かんとするかの大国である。
その戦慄すべき国力を思い、侍たちは心中武者震いを覚えた。
ただ一人酒井だけが、平然としている。
酒井忠
酒井忠

呑まれてはならぬ。今の世がここまで乱れているはどこの国のせいだと心得る

御前会議なるものは、結局のところ決定したことを繰り返すだけの場である。
だがこの酒井忠、慣れ合いの会議にさえ不穏な空気を持ち込む。
ここまでの流れ、見知ったもの同士だからできる慣れ合いであった。
たった今の一言は、その慣れ合いを壊しかねない。
酒井忠
酒井忠

とはいえ国際政治の場においては、怨み憎しみを持ち込むべきではない、我らはいずれの国に対しても冷めた頭でおらねばならぬ

酒井忠
酒井忠

挑発に乗るのも愚かなら、猫なで声に乗るも愚かというものぞ。方々、列強各国は正しく恐れ、存分に貶めるべし

本多万勝
本多万勝

(恐れながら貶めとは、なんとも忠らしいわ)

榊原賢政
榊原賢政

(……貶めろとは、なんとも酒井らしい)

井伊直士
井伊直士

(軍も政治家も、欧米へのコンプレックスがあるからねぇ)

それもまた、いってみれば幻想か。
酒井忠
酒井忠

中天の後ろにいずれの国がいようとも、邪魔するものは叩き潰すのみ。我らは日の本の国。この世に我らをはばかるものはなし

忠は力強く言い放った。
列強の者が聞いたら、片腹痛い大言壮語。
だが現在、皇国に必要なのはこれか。
そのすさまじい覇気は、御簾の向こうの空気にも伝播したかのようであった。