皇国より、遠く離れたタイクーン国――
温暖で緑豊かなこの国は、いまだ近代化の波が押し寄せていない。
地域に根ざした国造りにより、ゆったりとした発展を続けている。
その繁栄の中心となっているのが、大河チャオプラヤー――
メーナームチャオプラヤーとよばれるその川は、田畑を潤し、
人々の足として交流を支える国の象徴であり、国の誇りだ。
その川を奉る祭事の家として川と共に栄え、
いつしか政を仕切るようになったもうひとつの国の象徴――それがタイクーン家だ。
そのタイクーン王の居城が、にわかに騒がしくなっていた。
???
はわ……はわわわわわわわわ!?
じいや
王、落ち着いてくだされ。まだ、このタイクーンへと侵攻してくると決まったわけではありません
諫められたのは、大河と同じ名をもつタイクーン国王、チャオプラヤ・タイクーン――
先代の王の急逝により、王位を引き継いだばかりの女王だ。
チャオプラヤ
でも、でも……でもっ。大変な事態なのですよぉ~
じいや
王が狼狽えている姿を見せていいわけではありませんぞ
チャオプラヤ
で、でも、でもでもでも……私が国王となってから、こんな緊急事態、一度もないのです……どうすればいいのかわからないのです!?
チャオプラヤが王座について半年……国家を揺るがすような危機が何度も起こるはずがない。
じいや
王、落ち着いてくだされ……
ため息をつきながら、ゆっくりと頭をふるいチャオプラヤに近づく。
じいや
いいですか……チャオプラヤ様。このタイクーンには幾度となく国家としての危機がありました
じいや
初代国王の時には東部地域との併合戦争……二代目国王の頃には川賊による国の疲弊……その後も東部の独立問題……大洪水などの天災などです
じいや
しかし……そのどれもタイクーン王家は乗り越え、繁栄を築いてきたのです
じいや
大河チャオプラヤーの存在と……国王を支えようとする民の総力があった賜物です
じいや
いいですか……チャオプラヤ様。国家の安寧は国王様だけが背負う必要はないのです。チャオプラヤ様は王座に堂々と構え、皆を導けばいいのです
チャオプラヤ
じいや……ありがとうなのです
それまでの混乱が嘘のように、チャオプラヤはふんわりとした笑みを浮かべる。
じいや
いいえ、出過ぎた意見、もうしわけありません
チャオプラヤ
じいや、国防大臣を呼んでください。現状の対策を練りましょう
じいや
もう控えておいでです。すぐに呼び入れましょう
…………
……
落ち着きを取り戻したチャオプラヤであったが、事態が好転したわけではない。
チャオプラヤ
その後、皇国の様子はどうなのです?
国防大臣
はい。ご存じのように中天を制圧した皇国ですが、ヒリピンの制圧、統治を成功させました
チャオプラヤ
皇国は、それほどの力をもっているのですね
ブルリと身体を震わせながら、チャオプラヤは話の続きを聞く。
国防大臣
まだ正確な情報ではありませんが、ブリタニアが派遣した東洋艦隊の中核戦艦二隻を撃沈、同海域の制海権を確保したもようです
東洋艦隊……太陽の沈まない国とよばれるブリタニアが誇る東南アジア制圧部隊だ。
東南アジアでの制海権確保をその任務とし、他を寄せつけない圧倒的火力を誇る。
その中核をなす戦艦は、最新の戦艦と巡洋戦艦の二隻となっており……
中東の脅威になると言われていた。
しかし、皇国はそれを打ち破ったのだ。
チャオプラヤ
あ、あの東洋艦隊を……ごくんっ
ごくりとつばと一緒に震える声を飲みこむチャオプラヤ。
それでも、その背筋には、ぞくりと寒いものを感じてしまう。
チャオプラヤ
われわれは……タイクーンは、その皇国に対抗できるのですか?
国防大臣
………………残念ながら。タイクーンは伝統を重んじて政を行ってきたこともあり、兵器の近代化に乗り遅れてきました。それが…………
チャオプラヤ
もうしわけ……ないのです…………タイクーン家が、もっと兵器の発展に力を注いでいれば……
国防大臣
それは違います! タイクーン家だけのせいではありません。それは王家を慕う民たちも、それを望んできませんでしたから
チャオプラヤ
ありがとう……なのです
チャオプラヤは微笑んだつもりであったが、どこか陰が見えてしまう。
国防大臣
いえ……万全であると言えなかったこと……お許しください
外務大臣
そのことなのですが……近隣国には皇国の侵出に対抗しようとする国もあるはずです。外交を通じ、協力できないか探りたいと思います
チャオプラヤ
国防大臣はできるかぎりの策のまとめを、外務大臣は諸外国との協調の道を探ることをお願いするのです
国防&外務大臣
はいっ!
ふたりの大臣は、うなずくとすぐに駆けだしていく……
部屋に残ったのは、チャオプラヤとじいやのふたりだけ……
チャオプラヤ
はふぅ……き、緊張したのです……はわわっ!?
チャオプラヤは、そのままズリズリと椅子をすべって落ちそうになる。
じいや
王、はしたないですぞ
チャオプラヤ
そ、そうなのですっ!?
すこし疲れた様子だったチャオプラヤだが、ピョンと跳びあがる。
じいや
どうされたのですか?
チャオプラヤ
祈祷を……祈祷をおこなうのです! 皇国の侵攻を寄せつけないための祈祷をおこなうのですよ
じいや
なるほど……それは妙案ですな。すぐに国中の祈祷師に呼びかけましょう
チャオプラヤ
頼むのです。私もメーナームチャオプラヤーにて、祈祷をおこないます
メーナームチャオプラヤー最上流――
神聖にして侵されざるべき、タイクーン家の聖域だ。
たとえ従者であったとしても、立ち入ることは許されない。
ここにいるのは、タイクーン家の者と動物たちだけ……
???
ら~~♪ ら~ら~♪
その聖域に、美しい歌声が響くと……
その声に引き寄せられるかのように、鳥たちが集まりはじめる。
チャオプラヤ
くすっ……くすぐったいのです、小鳥さん
声の主であるタイクーンは、くすぐったそうに笑みをもらした。
チャオプラヤ
肩にとまるのはいいのですけど、首筋をくすぐるのはだめですよ
チャオプラヤが言ってきかせると、小鳥たちは素直に肩にとまり、歌声を披露しはじめる。
チャオプラヤ
鹿さんも一緒にくるのですか?
子鹿がチャオプラヤに寄り添うように、並び歩きはじめると……
猿や、虎まで姿を見せ……一緒に並び歩きだす。
やがて……たどり着いたのは、メーナームチャオプラヤーの最源流、
チャオプラヤーのはじまりの湖だ。
この湖から湧きでた水が、森や田畑……そうして人々を潤していく。
チャオプラヤ
皆さん、離れてくださいね
その湖の前に立ったチャオプラヤ・タイクーンは、
周りにいる動物たちに声をかけ、そっと服へ手をかける。
やがて姿を表したのは、かわいらしいフリルのついた禊ぎのための衣装であった。
チャオプラヤ
…………
湖から流れ出る川にて身体をかるく雪ぐと――
湖の中へと一歩踏みいれる……
チャオプラヤ
ら~~♪ ら~ら~♪
美しい歌声を響かせながら、一歩……また一歩と進み湖の水で身体を清める。
チャオプラヤ
(どうか……この国に……タイクーンの地に戦火がくることのないようお守りしてほしいのです…………どうか……どうか……)
………………
…………
……