光あふれるメガラニカ王宮の廊下を、
栗色の髪の少年が歩いていく。
利発そうな顔にまだ幼さを十分に残した
その少年の名は、パーシー・メルボルン。
場違いとも言える歳若い彼が、
涼し気な顔で王宮の中を歩き回る事を咎めるものはいない。
だが遠巻きに彼を見る為政者たちの目には、
好意的とは言いがたい表情が浮かんでいた。
大臣A
大臣A

ほら、あれが例の……

大臣B
大臣B

ううむ、そのようには見えんがね……

大臣C
大臣C

だが、ただの子供という訳でもありますまい。なんせ女王が側に置かれるくらいですからな……

メガラニカ。
雄大な自然を持つメガラニカ大陸と同じ名を冠する、
大陸随一の国家である。
自然との調和を国是に掲げるこの国は、
ヴィクトリア・クイーンズラントという若き女王により統治されている。
そして、そんな女王の傍らには常に、
女王の右腕とも言われる敏腕の側近がいた。
それが誰あろう、パーシー・メルボルン少年である。
大人顔負けの凄まじい有能さと、
十代前半という破格の若さで宮廷の実務の一翼を担い、
これからの活躍が期待されている俊英なのだ。
しかし、そんな華々しさとは裏腹に、
彼には常に黒い噂もつきまとっていた。
パーシー・メルボルンは狡猾にも、
メガラニカ最高権力の座を奪う機会と、
さらには若く美しい女王の肉体までも狙っているというのである。
あのあどけない少年の顔の下には、
醜い権力欲と征服欲が渦巻いているのだと。
多くの者は、それが若い才能に対する嫉妬から出た、
根も葉もない噂だと決めつけていた。
例えそれが真実だとしても、
俊才とおだてられた年端もいかぬ少年が大望を抱くのは無理からぬ事。
いずれは身の丈を思い知るであろう、と言う者もいた。
だが、その高い実務能力と、
驕りや高慢さなど微塵も感じさせないパーシー少年の素直な人柄が、
逆に一部の人々に万が一の疑念を抱かせ続けるのだった。
もしあの天使のような穏やかな笑顔が全て計算尽くのことであるのならば、
悪魔的な狡知と言わざるをえない、と。
噂が全て真実であるというのならば、
己の強大な政敵にもなりかねないと危惧した臣下の者たちは、
何度と無く女王に問うた。
大臣A
大臣A

かような噂が宮廷内にまことしやかに囁かれておりますが、女王のお耳にも入っておりましょうか?

ヴィクトリア
ヴィクトリア

ええ。しかし、口さがない者たちの言うことです。捨て置かれるがいいでしょう

ヴィクトリア
ヴィクトリア

皆様におかれましても、そのような噂にはなるべく耳をお貸しにならぬよう、お願い致します

大臣B
大臣B

しかし、万が一事実であったなら、事は御身の安全にも関わってまいります

大臣C
大臣C

さよう。何卒ご配慮いただき、彼の者をしばし遠ざけるべきではありませぬか……?

ヴィクトリア
ヴィクトリア

それは……ですが……私の口からは何とも……答えにくいことなのです。皆様のお心遣いには、感謝いたします。けれど……

こうした意見に対し、ヴィクトリア女王は決まって口を濁し、
曖昧な態度で有耶無耶にしてしまうのだった。
女王のパーシーに対する信頼ぶりは、
溺愛と呼んでも差し支えないほどに、宮廷内には知れ渡っている。
そんな女王の態度から、すでにパーシーに何らかの弱みでも握られてしまったのでは、
と噂する者も出始めたのは無理からぬ事であっただろう。
大臣A
大臣A

仕方ない。女王自身がご決断なさらぬというのであれば、我らが何とかせねば

大臣B
大臣B

しかしパーシーは女王のお気に入り。下手に手を出そうものなら、我らがご不興を買うのは必至ですぞ

大臣C
大臣C

なに、剣呑な方法など使わずとも、たかが小僧一人。少々酷使してやれば、すぐに音を上げるでしょう

大臣A
大臣A

ふむ。ではその線で行きますか。穏便に、ね

大臣B
大臣B

ええ。我らとしても、事を荒立てたいわけではありませぬからなぁ

大臣C
大臣C

ま、これで潰れるようならそこまでの人材だったという事で……

こうした成り行きの結果。
翌日から、パーシーに押し付けられる仕事の量は、
徐々に増えていったのだった。
夜もすっかり更けた頃──
机の上にうず高く積み上がった書類を前にして、
パーシー・メルボルンは頭を抱えていた。
パーシー
パーシー

一体どうしろって言うんだ……こんな分量、まともにやって終わるわけがないじゃないか

これといった取り柄もなく、
まだまだ遊びたい盛りの普通の少年だった彼が、
突然宮廷に召し抱えられてからは激動の日々であった。
何故か女王の側近として取り立てられたのも不可解であったが、
周囲の大人たちの視線が何より不気味なものに感じられて、
何度泣きたい夜が続いた事だろうか。
それでも、女王が優しく声をかけてくれて、
何かにつけて気にかけてくれるという光栄に浴し、
随分救われた気分になったものだ。
訳もわからぬ仕事をなんとか覚えたのも、
ひとえにあの美しい女王の期待に応えたかったからだ。
だが、宮中で頑張ろうとすればするほどに、
周囲からの理不尽な重圧は増していくようであった。
こんな状況でも性格が曲がらずにやって来れたのは、
パーシー自身の生来の生真面目さゆえであろう。
しかしそんなパーシーにも、人並みに限界はある。
稀代の能吏、神童などと賞賛されても、
やはり去年まで普通の子供だった彼には、
経験と実績が他の大臣たちに比べて圧倒的に乏しいのだ。
それなのに、経験豊かな事務官でも一日では
さばき切れないであろう分量の仕事を押し付けられては、
もはや途方に暮れるしかなかった。
宮廷内で噂になっている有能さや腹黒さなど、
本当のパーシーは何一つ持ち合わせていないのだから。
パーシー
パーシー

うう……やれる所までやるつもりだったけど……もう頭が回らないよ……

パーシー
パーシー

眠くてもう限界だ……明日謝るとして今日はもう寝よう。ミスだらけの書類を出すほうが恐いし……

パーシー
パーシー

ああ……きっとすごく怒られるだろうなぁ……

憂鬱な気分で布団に潜り込んだパーシーは、
疲れているせいで、あっという間に眠りに落ちていった。
しばらくして、静まり返ったパーシーの部屋に、
ドアをそっと開く音が小さく響く。
音を立てぬよう、部屋の中に滑り込んできた侵入者は、
なんと女王ヴィクトリアその人である。
ヴィクトリア
ヴィクトリア

うふふふ……パーシー君の寝顔はいつ見ても最高だわぁ……うふ、うふふふふふふ~

普段は決して他人に見せぬであろう、
よだれを垂らさんばかりにうっとりとした表情で、
パーシーの寝顔を覗きこむ。
そうして、しばしパーシーの寝顔を堪能すると、
彼女は机の上に積まれた書類に目をやった。
ヴィクトリア
ヴィクトリア

ふっ、大臣たちも小賢しい事を思いついたわね

ヴィクトリア
ヴィクトリア

でもこの程度の書類なんて、私にかかればチョチョイのチョイよ♪

ヴィクトリアは椅子を引き寄せると、
手際よくペンを持ち、凄まじい速度で書類を処理していく。
ヴィクトリア
ヴィクトリア

うふふふふ……これでまた一つ、パーシー君の有能伝説が生まれるのね! ああ、パーシー君! 貴方ってなんて素敵なのかしら!

ヴィクトリア
ヴィクトリア

もはやこの国は、貴方の知謀なしには成り立たないの。いずれは大臣たちも思い知るでしょう。貴方の偉大さを……!

やや熱のこもった口調でそんな事をつぶやきつつも、
手元は一分の狂いもなしに書類を捌き続ける。
ヴィクトリア
ヴィクトリア

ああ、そして私には分かってるわ……貴方の熱い眼差しに秘められたケダモノのような肉欲を!

ヴィクトリア
ヴィクトリア

いずれその若い欲望を抑えきれず、私を蹂躙しにやって来るのよ、きっと! キャー! いけないわパーシー君!うふ、うふ、うふふふふふふふ……

時折、悶えるように身をよじるヴィクトリアだったが、
近くで寝ているパーシーはぐっすりと眠っていて、起きる気配はない。
そう、パーシーにまつわる数々の誇張された噂の出処は、
他の誰でもない女王ヴィクトリア本人なのである。
彼女は内外にこうした噂を少しづつ流しつつ、
超有能で鬼畜な美少年にめちゃくちゃにされる自分、
という妄想のプレイを日夜楽しんでいたのだ。
真実を知れば誰もが卒倒しそうな事実であるが、
それに気づくものが誰一人としていなかったのは幸いといえる。
あれほど高く積み上がっていた書類は、
ものの一時間もしないうちに全て正確に処理され、
整理されてしまった。
ヴィクトリア
ヴィクトリア

はぁ……パーシー君、貴方の功績はみんな私が作ってあげる。だから貴方は、そのまま純真さと健気さで、私の側にいてね

ヴィクトリア
ヴィクトリア

本当に貴方が襲いに来てくれれば、私はきっと喜んで貴方に身を差し出すでしょうけど……

最後に慈愛を込めた笑みをパーシーの寝顔に投げかけると、
ヴィクトリアは静かに部屋を去った。
パーシー
パーシー

うわぁっ!? ま、また仕事が全部、終わっちゃってるぅっ!?

翌朝、完璧に整理された書類を目にして、
パーシーが大混乱に陥ったのは当然のことだった。