ブリタニア帝国の宮殿。
その王の間……
女王は、玉座で思案を続けていた。
彼女の名はエレハレム・アークトゥルス。
ブリタニアの女王である。
この地球を支配する列強の雄。
その中でも最大の領地を有す大国、ブリタニア。
かの帝国は彼女の所有物であった。
彼らの前に立つ廷臣たちは、じっと女王の言葉に耳を傾けている。
エレハレム
世界にとって、秩序とは何であるか……
女王は臣下らに問うた。
決まっている。それはブリタニアのことだ。
エレハレム
……だが今や、ブリタニアは数ある列強の一国
ブリタニアが全てを決定し、他の国はそれに従う。
それこそが秩序であり、正義である。
だが現在、列強は世界にブリタニアだけではない。
ありえぬことであった。
ブリタニアに拮抗する勢力が存在すること自体が恥辱だというのに、
現在そのような国は一つではないのである。
ブリタニアの威光を取り戻すためには、
すくなくとも列強における最強たらねばならないであろう。
エレハレム
植民地経営は、もはや単純に国力につながるものでもなくなっています。少なくとも、これだけ列強がしのぎをけずる現状においては……
ブリタニアの国力の源泉は、世界中にある植民地である。
日の沈まぬ帝国という名は、現在ブリタニアにのみ相応しい名前であった。
植民地の維持はいかにブリタニア帝国といえど難事であった。
植民地は搾取するために存在する。
現地の住人を労働力として搾取し、資源と市場を独占する。
だがそうするまでには膨大な投資が必要である。
また、植民地を狙う他の列強に対抗するためには巨大な海軍力を有しておらねばならない。
ブリタニアにはそれが存在した。
現在植民地各国は自治権を与えられ、巨大なブリタニア連邦を形成している。
この連邦を成り立たせるためには、
ブリタニアにそれを維持できるだけの力があることを示し続けねばならない。
少し前までの世界では、ブリタニアの力を疑うものなどはいなかったし、
逆らおうとするものは手痛い反撃をうけた。
だが、今、東方の蛮族たちが、無謀にもブリタニアに挑戦をしかけている。
その事自体が屈辱であり、ブリタニアの国益を損なうものであった。
まして皇国は本来列強によって搾取されるべき国のはずである。
あらゆる意味で前代未聞な状況といえた。
存在そのものが植民地支配の前提を揺るがしかねない。
エレハレム
皇国はヒリピンを手にしました。アルメリカを敵に回してまで……
蛮族どもは石油を手にしていくことになる。
これでは皇国がよほどの悪手を打たぬ限り、戦は長引くよりほかはないだろう。
最終的には敗北する国とはいえ、今日明日の話ではなくなった。
それ自体は厄介といえなくもない。
現在のこの状況、ブリタニアにとってはむしろ歓迎すべきことなのだ。
なにしろ現在ブリタニアは、皇国どころではないのである。
エレハレム
これでアルメリカを戦争に引きこめる。……もはやプロイセンは敗れたも同然
現在プロイセンは、フランセーヌを陥落させている。
ドーバー海峡の向こうはすでに敵であった。
世界最大の帝国ブリタニアは、滅びに瀕していた。
エレハレム
(……いや、依然危機は続いている……と考えるべきでしょうか。アルメリカが腰を上げる前に滅んでしまっては元も子もありません)
プロイセンはいうまでもなく前大戦におけるブリタニアの宿敵である。
前大戦は、人類史上にも類を見ない凄惨な血戦となった。
ブリタニアはその戦いにおいて、プロイセンと激しく争っている。
かような戦は二度とおこしてはならない。
戦に及んだ者は誰もがそう思った。
だがブリタニアを始めとする戦勝国は、
戦争の放棄ではなく敗れた相手に対する復讐を優先したのである。
その結果生じたのは、敗れた者たちの、持てる国への激しい憎悪であった。
いちはやく世界恐慌から脱して力をつけたプロイセンは、
国際連盟など無視しながら国土を広げていき、
現在フランセーヌ、ネーデルランドを陥落させ占領下においている。
さすがは、ブリタニアと同じ、由緒正しき騎士の血統の国である。
だがそのプロイセンの脅威も、アルメリカが参戦するというのなら恐るるに足りない。
まったく皇国にはいくら感謝しても足りぬくらいである。
エレハレム
ブリタニアは皇国を鎧袖一触し、プロイセンを再び滅ぼします。世界とは、日の沈まぬ帝国のためにあるのです
臣下たちは、女王の言葉を黙したまま聞いている。
だが心中は、女王の野望にみちた言葉に奮起をしていた。
エレハレム
(それにしても……アルメリカはどうして太平洋をまたいで戦などをするのでしょうか?)
アルメリカが正気だったら、わざわざこんなことはしない。
ブリタニアにとっては反逆者でしかないアルメリカではあるが、
少なくとも文明国ではあるはずだった。
エレハレム
(……ブリタニアはおかげで助かりましたが……もう一国、アルメリカの参戦で助かった国がありますね)
その国とは……皇国にとって、もっとも身近な敵である。
エレハレム
(ソルビエス……ですか。ですが今は、捨ておきましょう)
今警戒せねばならぬのは、プロイセン一国である。
皇国などは、路傍の石にすぎない。
ブリタニアもアルメリカを引き込んだといって喜んでばかりもいられない。
ブリタニアはブリタニアで、皇国から己の植民地を護らねばならないのだ。
ぐずぐずすればアルメリカもやってこよう。
エレハレム
皇国はいずれ、ブリタニア統治下にあるアジアの植民地に進出するでしょう
廷臣たちは、余裕をもって女王の言葉を聞いている。
無理もない。彼らには皇国を恐れる理由などは存在しない。
彼女がここに告げることも、いわば確認事項にすぎないのである。
エレハレム
……実に蛮族らしい狼藉です
廷臣たちは静かな笑い声を上げる。
エレハレムは君臨するだけでなく、臣下たちを挑発する才能があった。
エレハレム
ブリタニアは皇国の侵攻より、領土を護らねばなりません。……ときに東アジアにはフランセーヌおよびネーデルランドの植民地も存在しますね?
この両国はプロイセンの侵攻をうけ、早々に制圧されている。
両国の植民地は、確かに今守るものなき状態にあった。
エレハレム
両国の領土を守るのも、我らブリタニアの役目となりましょう
ブリタニアは騎士の国である。
弱き者を守り、正しく導かねばならない。
そしてその結果、
両国の植民地を実質上の支配下に置くことは、当然の責務であるといえる。
エレハレム
まずは身の程知らずの皇国を蹴散らすとしましょうか……
植民地を蛮族共に荒らされるなど、あってはならぬことである。
それに、東南アジアで皇国が我が物顔をしているうちは、
ブロック経済を行うどころではない。
エレハレム
(蛮族、いや……ハイエナですね。皇国もプロイセンも)
そこまで考えたところ、エレハレムの思考は始点に戻った。
エレハレム
(そういえば……プロイセンもまた、かの国にとっては国境を接する大敵ですね……)
…………プロイセンが滅びれば、最大の利を得るのはどの国であろうか。
エレハレム
(またしても……ソルビエス、ですか)
無論プロイセンは、ブリタニアにとっても不倶戴天の敵。
だがソルビエスにとっても、もっとも身近な脅威である。
エレハレム
(ですがプロイセンと皇国が滅んだところで……いや、しかし、もしも皇国に列強と呼ぶにふさわしい力があるのだとすれば……)
そうなれば、アルメリカとブリタニアは、最終的に勝者にはなろうとも、
共倒れに近い打撃をうけることになる。
そうなれば結局ソルビエスの一人勝ちではないか。
エレハレム
(……あり得ませんね。皇国にそれほどの力があるはずは……)
エレハレムは、玉座の上より侍従たちを呼んだ。
エレハレム
ベディヴィアをここに!
王の間に、影がさす。
現れ出たのは、朗らかな印象を備えた女中…いや、騎士。
ブリタニア武官の最高位に与えられる”円卓の騎士”の称号、
それを与えられた十二人の筆頭格にある白の騎士である。
ベディヴィア
ベディヴィア、ここに
エレハレム
円卓の騎士に勅命を下します。ブリタニア領シンガプールに駐屯する……パロミデス
難攻不落をうたわれる、ブリタニアの要地である。
エレハレム
”プリンセス・オブ・アークトゥルス””レパルス”両艦により、皇国軍を討ち果たせ!
この二隻こそ、ブリタニアの誇る洋上の城塞。
ブリタニアの東洋支配の象徴である。
ベディヴィア
はっ! シンガプールのパロミデス・フィリップスに至急打電を致します
女王は命を下す。世界は再び思い知るであろう。
日の沈まぬ帝国の女王が、誰であるかを。