慶長二十年五月七日。
真田信繁率いる一隊は、未明に出陣した。
もはや戦に大義はない。
もはや戦で得られるものはない。
もはや戦に勝利はない。
だとしたら彼らは何故戦うのか。
赤をまとう真田の兵たちは、一様に死を覚悟している。
だが、彼らの目にあるのは諦念でも狂気でもない。
もっといえば、人間らしい感情に汚れていない。
彼らの瞳には、曇がない。
まるで獣のそれのように。
彼らには忠義があったといわれている。
負けると決まった軍に参じるのだから、忠義はあるに決まっているだろう。
だが彼らは、忠義という言葉よりももっと
原始的な何かによって主と繋っているらしい。
さながら彼らは、狼の群れであろうか。
戦にとりつかれた狼達は、贄をもとめて進んでいく。
かかる決死の一隊を率いる男の胸中は、いかなるものであろうか。
真田信繁は、髭をなでる。
癖であった。
見るからに精悍な男である。
どこかむさ苦しいが、そのくせ妙な透明感がある。
そして、不思議な花があった。
傾奇者のように人目をひく派手さではない。
野に咲く花のそれである。
威圧感がある。
だがそれも、強者が他を圧するようなものではない。
どことなくこの男、山に似ている。
生き物のたとえとしては奇妙であるが、この男の存在感、山にたとえるとしっくりくる。
ただ佇んでいるだけで、山というものはその存在を意識せざるを得ないものである。
信繁は、乱世の武人らしく、髭を生やしている。
髭は武人の証である。
信繁の人生に多大な影響を及ぼした父昌幸も、髭にはこだわりがあった。
髭の形がきまらぬ日には、機嫌の悪かったものである。
どうも代々、髭が気になるものらしい。
信繁、また髭を撫でた。
信繁
信繁

髭を撫でるのも、今日限りか

家臣たちは、のんきな言葉に笑う。
だったらもう少し整えておくべきだったろうか。
今日が首との別れの日になる。
だとしたら、もう少し美々しくしておくべきだったろうか。
信繁は、首級となった己を想像した。
いや、あまり整えすぎても、武人らしくないのではないか。
そんなことを考えていると、部下が語りかけてきた。
家臣
家臣

信繁殿、なんとも婆娑羅な髭でありますな

信繁
信繁

そんなに伸びておるか

家臣
家臣

奥方様にどやされますぞ

信繁
信繁

むう

信繁の妻は髭に厳しい女性であった。
信繁はもっと武将らしい大髭なぞ生やしてみたいと思っていたのだが、
ある程度伸びるとにこにこ笑いながら剃刀をもってくるのだ。
信繁
信繁

少しは、整えておくべきであったか

家臣
家臣

相変わらず、ご自分のことには頭がまわりませぬなあ

信繁
信繁

かもしれんな

そうだ、自分のことに頭が回らぬからこそ――
信繁はこうしてここにいるのだ。
侍の意地を示すために。
いや、それは少し違う。筋を通すためだ。
真田信繁としての筋を。
それにしても、いささか残念ではある。
この場にあるべき侍を偲び、信繁は嘆息した。
信繁
信繁

……又兵衛殿。どうして貴殿は逝ってしまわれたのだ

信繁は、又兵衛の大きな背中を思い出す。
後藤基次。後藤又兵衛の名で知られる猛将である。
全身の全てが太い、羆のごとき男であった。
虎殺しで知られる又兵衛であったが、信繁がそのことを尋ねると、
にやりと笑って、トラなど猫と同じ、
そっとなでてやったらお陀仏だったわなどという。
又兵衛は誇り高き男であった。
戦のために生まれたような男であった。
先日の五月六日、道明寺口の戦いで、又兵衛は死んだ。
この男がどうして黒田家を捨て浪人となったか、信繁は詳しい理由を聞いたことはない。
又兵衛とかつての主君、黒田長政との間には、数多くの憶測や流言が伝わっている。
中には又兵衛の人品を疑うような内容のそれもあった。
だが又兵衛、どうにも澄んだ目をしていた。
信繁は、後藤又兵衛という男の切なさを理解した。
おそらく又兵衛も、己の筋を通そうとしていたのだろう。
五月六日未明、又兵衛率いる二千ほどの兵は、
あり得ぬことに他の部隊を置いて先に出陣し、幕府軍に向けて進撃を始めてしまった。
戦をよく知る後藤又兵衛が、どうしてこのような真似に及んだのか。
大阪方側は確かに河内に攻め込んでくる幕府軍を狭隘の地で
待ち受ける算段であった。大阪方側は総勢にして五万。
対するに幕府軍は、総勢十五万。
後藤率いる一隊は決して少なくない。
運の悪いことに、当日大阪城南東は濃霧に覆われていた。
そのため真田隊を始めとした豊臣側の浪人たちは、先行した後藤隊を見失った。
今信繁にわかることは、先行し小松山に陣取った後藤隊が、
最後の時まで奮戦したということくらいである。
家臣
家臣

見事な最期でありましたな

信繁
信繁

ああ

信繁は、又兵衛の最期を想起した。
おそらく又兵衛は、闘いながら逝ったのであろう。
摩利支天のごとくあざやかに兵を動かした後藤又兵衛基次は、霧と共に去った。
平和になろうとしている天下に、もはやあのような男は不要であるかもしれぬ。
そうと悟って、あの男は逝ったのだろうか。
家臣
家臣

……信繁殿、どうして後藤殿は……

信繁
信繁

わからぬ

家臣は、内通者を疑っているらしい。
後藤又兵衛は、誰かに嵌められたのではないか。
内通者が、猛将として知られる後藤又兵衛を霧に乗じて無きものにする。
あり得ぬことではない。いまの大阪方には、少なからず獅子身中の虫がいる。
統率もなければ軍紀もあやしい。
かような陣営では、真面目に戦うのが虚しくなりそうであった。
もはや戦を成り立たせているものは、侍たちの執念だけといえる。
信繁
信繁

我らはこの六文銭にかけて戦うのみ

家臣は頷いた。
敵は味方の三倍。
家康は、こたびの戦に際して数日分の糧食しか持ちあわせておらぬという。
それは流石に噂にすぎないであろうが、このような噂が飛び交うこと自体、
天下がもはや徳川家のものであることの証左であろう。
大阪城に残った浪人たちは、もはや勝つことを考えていない。
籠城となれば戦いようはあったが、
すでに難攻不落の大阪城は周囲の堀を埋められ裸城と化していた。
これでは籠城どころではない。
関ヶ原の戦い以降、豊臣家は直轄地を失い六十五万石の一大名となった。
ところが豊臣家は、現在でも家康の主君筋であり、権威においては並ぶべくもない。
一度は破った西軍側の大名たちも、いつ豊臣家をかついで叛旗を翻すかわからぬ。
徳川家は豊臣家を、滅ぼすより他になかった。
そして豊臣家は、灯火に誘われる虫の如く自ら滅びに引き寄せられていった。
昨年冬の大阪の役により、豊臣家は果敢に抵抗をしてみせたが、
結局は敗れ、徳川と和議を結んだ。
和議の条件は、大阪城の堀を埋め立てること。
惣構と内堀、外堀を失った大阪城は脆弱で籠城戦はもはや不可能となった。
真田信繁は、明けゆく空を見つめた。
思えば己は何のために戦っているのであろうか。
ほとんど内省というものをしないこの男が、なぜかそう考える。
信繁は父昌幸の顔と言葉を思い出した。
確か父はこう言ったのである。
『しょせんは地侍よ』と。
真田は信濃の地侍の一党。
諏訪神社を氏神とする一族の末裔であった。
諏訪神社に祀られし古き神は、反骨の神。
日ノ本の国において、東国とは化外の地。
東国信濃に祀られし風の神は、すなわち中央の勢力には従わぬまつろわぬ神であった。
その末裔たる一族が、反骨でないはずがない。
永きに渡る戦乱の世。意地だけで始まった戦など、他にも腐るほどある。
あるにはあるが、それにしても、この大阪の役よりも無意味な戦は他になかろう。
信繁はそのように考えながら、乾いた笑いをもらした。
真田の一族は、強者として知られている。
わけても信繁の父昌幸。これは傑物としてとみに名高い。
そんな昌幸も、信繁からすれば、ただの父親であった。
息子からすると、いわれるほど傑物かとも思う。
だが、油断のならぬ男ではあった。
だいたいあの親父、涼しい顔をして簡単に人を裏切り、寝首をかく。
上杉、北条、織田、そして徳川に対して離反と恭順を繰り返しながら勢力を拡大し、
常に小でありながら大を振り回してきた親父である。
だいたいにして、人を裏切るには胆力がいる。
そこを平然と裏切るのだから、昌幸の胆力いかばかりか。
とはいえ父は、損得で裏切りを繰り返しているのではない。
そんなに器用な男ではないのである。
だいたいにして父は、あまり富貴にはこだわりがなかった。
名声を得たいという気持ちもそれほどなかったように思う。
だったらなんのために戦っていたのだということになる。
世の中には後藤又兵衛のように戦を好み、戦を求めてやまぬ男もいる。
だが昌幸はそのような男でもなかった。
信繁は思う。親父は親父の筋を通しただけなのだと。
関ヶ原の戦の前、信州上田において信繁は父と兄に再会した。
その際父昌幸は、いとも簡単に己は西軍につくといった。
その結論に、信繁としては不満はなかった。
兄信之は、あくまで静かに父に問うた。
『親父殿、なぜ豊臣につくのです』
昌幸はいった。
『それが、筋だからだ』
平然と父は笑った。
信繁の兄信之は、そんな父を見て、困った顔をして微笑んだ。
十八の時以来、別々の家に仕えている。
信繁は兄のそうした顔を久しぶりに見た。
信之は変わっていない。
真面目で誠実で、そして誰よりも忠実な男である。
世間では、真田一族の生き残りにかける執念が一つの語り草になっていた。
真田昌幸とその次男信繁が西軍に、真田信之は東軍についたのは、
いずれが勝っても真田家を存続させるためにほかならない。
なんと強かな生き様ではないか。
世間の民人は真田の決断をかように受け取った。
豊臣と徳川、いずれにつくか。
諸国の大名たちがそのことで大いに頭を悩ませていた時期。
真田の出した回答は、戦国乱世の模範回答のように伝えられている。
しかし昌幸には打算があったわけではない。
信之は徳川重臣・本多忠勝の娘、小松姫を娶り徳川の臣となった。
だから徳川について戦うのが筋。
そして自分は羽柴の姓を与えられた豊臣の家臣。
次男信繁もまた、十数年と豊臣に仕えた家臣である。
よって昌幸と信繁は西軍で戦うのが筋。
父昌幸はそういったのである。
昌幸は、油断のならぬ男と知られている。
名だたる武将のことごとくに恭順し、多くを裏切った男には、当然過ぎる世評であろう。
だが真田の臣たちは、昌幸をいわゆる梟雄と認識してはいない。
あくまでそれが筋であるからして、豊臣につく。
昌幸はそうした男であった。
徳川につけない理由はもう一つある。
徳川と真田の間には、消しがたい因縁があった。
信長亡きあと、信濃の国は上杉、北条、徳川が争う修羅のちまたと化した。
世に言う天正正午の乱である。
この戦いを勝ち抜いた徳川は、五国を得て天下への足がかりを得たが、
その後昌幸によって手痛い敗北を与えられた。
世に言う上田合戦である。
乱世の戦は筋の通らぬものばかりだが、上田合戦もその経緯からして酷い。
天正正午の乱において徳川は北条と和睦したが、
その条件というのが互いの領地の交換であった。
このとき真田は北条を裏切って徳川に仕えていたが、
このとき交換に出した領地というのが真田の領土だった上野の国沼田だったのである。
静かに怒りを覚えた昌幸は、領土の受け渡しを拒んだ。
かくして上田合戦が始まった。
この戦い、真田昌幸は徳川一万の兵をわずか二千で迎え撃ち勝利する。
真田昌幸の名は、天下に知れ渡った。
この戦いで挙げた武勲により、信繁の兄、
真田信之は徳川に召し抱えられることとなった。
昌幸はそのことを我が事のように喜んだが、己は結局徳川と敵対する道を選んだ。
関ヶ原の戦いで西軍側につき、昌幸と信繁は徳川秀忠率いる
三万八千相手に籠城戦を行ってこれを足止めしてのけた。
しかし、関ヶ原を制したのは徳川であった。
信之の助命嘆願により命だけは助けられた昌幸は、高野山に配流となる。
晩年、昌幸は信繁にこういった。
『天の機や、地の利など大したことではない。戦の胆は人の心にある。
……信繁、お前はお前の筋を通せ』
そして昌幸は、信繁に己の差していた打刀を渡した。
信繁
信繁

人の心、か

天の機と地の利。
豊臣側はすでにそれを失った。
なれば人の心はどうであろうか。
大阪方、五万の軍勢は大半が浪人。
これほどの数、よくぞ集まったとも思う。
当然彼らは烏合の衆である。
せめて彼らが主と頼む豊臣秀頼が、戦場に現れ兵を鼓舞したら、
どれほど士気が高まったものか。
だがそのような結果、もはや望むべくもない。
この期に及んでも、秀頼は姿を見せないでいる。
信繁はそのような秀頼に、なんの感情も湧いてこない。
そのことは他の武将たちも同様であるらしかった。
彼らは結局、己のために戦おうとしていたにすぎない。
いまこの時を迎えても、大阪方は一枚岩になりきれていなかった。
負ける陣営はこうなるのだということを、信繁は以前の戦いで思い知っていた。
後の世に名高い大阪冬の陣において、信繁は大阪方に謀反を疑われ続けたのである。
家臣
家臣

潔く散ってみせます

家臣の言葉は頼もしい。
この若武者、先日重傷を負って戦線離脱した三井景国の家臣である。
先日行われた道明寺の戦いにより、
三井を始めとした腹心の部下たちの多くが死傷していた。
にもかかわらず、生き残った家臣たちはいよいよ意気盛んな様子であった。
信繁
信繁

ただ、己に恥じぬ戦いをせよ

信繁はそのように返答する。
ただ己に恥じぬように。
そのように生きた信繁が、今死ぬより他のない戦場にいる。
家臣たちにはそのことが頼もしく、そして悲しい。
侍とはこれほどに報われぬものなのか。
家臣たちの中には、涙を浮かべるものがいた。
一方信繁であったが、こちらは平素と変わらぬ様子である。
馬上にあって平然と佇みながら、静かに時を待つ。
先日、殺到する徳川方に対し、大阪方は天王寺方面へ撤退。
殿を務めたのは信繁率いる真田隊である。
『関東勢百万と候え、男はひとりもなく候』
信繁は、攻め立てる徳川方は伊達政宗率いる隊にそのように言い捨てた。
信繁は、刀を抜いた。父より譲り受けた一刀である。
刀には、村正の銘がある。姿のよい刀ではない。
一見すると実用本位の数打ちと見えた。
それでいてどうだろう。
この刀の刀身には、一種異様な気配が感じられる。
まとう雰囲気だけでなく、この村正、切れ味が尋常ではなかった。
火縄銃の弾丸を弾く南蛮胴を、村正は据物斬りにできる。
かように怪しい刀、何か取り付いているのではないか。
怪力乱神を信じない信繁をして、そう思わずにはいられない。
合戦において刀は補助的な武装である。
いかに武家の魂とはいえ、戦とあったら、槍さばきがものをいう。
まして信繁は十文字槍の使い手として知られている。
にもかかわらず、無我夢中の戦のあと、信繁が手にしているのはきまって村正であった。
信繁は村正を掲げながら、南方を見据える。
その姿を目にした家臣たちは、息を呑んだ。
兵士A
兵士A

おお、我が殿があれを抜いた

兵士B
兵士B

あれが……徳川家に仇なすという刀……!

兵たちは奇妙なことに、この一刀が徳川家康の長子、松平信康が介錯に使った刀と信じている。
信長より内通を疑われた信康は、父によって自刃させられた。
信繁の差す一刀には、無念のうちに死んだ男の恨みが込められている。
兵たちはそのように信じていた。
よってこの村正、徳川と見たら切らずにおかぬのだと。
信繁
信繁

(人の恨みなど、どうでもよいが、仮にこれに何らかの念が込められているとして……それは果たして恨みであろうかな)

信繁には、恨みのような濁りよりも、どこか透明なものを感じてならない。
その透明さは、今の信繁にも相通じるものがあった。
あえて例えるならば、それは死を覚悟した侍の意志か。
その念を通せば、百万の大軍でも恐れるに足りぬ。
信繁には策があった。
徳川十五万を討つために、その頭を獲る秘策が。
そのためには、十分に敵の先陣、二陣を引き寄せ時間を稼ぐ必要があった。
背後にそびえる茶臼山と、その東にそびえる岡山。
二つの峰を使い、敵を釣り上げる。
信繁
信繁

我が前を遮るは、伊達、前田。いや……

信繁の脳裏に一人の武人の名前が浮かんだ。
信繁
信繁

松平忠直

家康の次男、秀康、武勇優れたことで知られる結城秀康の長子である。
昨年の冬の大阪の陣において、忠直は失策し家康より叱責をうけたという。
なれば此度はその挽回のため、積極的に攻めかかるであろう。
その性急さに、うまく付け込めればよいが。
信繁にはもう一つ気がかりがある。
敵方には、兄信之の長男が参戦していたのだ。
信繁
信繁

行く手を塞ぐのなら、斬らねばなるまい

これも戦の世の習いであろうか。
これも修羅の道をゆく真田のさだめであろうか。
信繁は、己の村正がじわりと熱くなるのを感じた。
信繁
信繁

この信繁と勝永殿が、徳川方を分断する

勝永――毛利勝永である。親子二代にわたり豊臣に仕えた武人。
年代が近いことも有り、信繁は勝永と妙に馬があった。
一見すると、虫も殺せぬような心優しい男であったが、あにはからんやその半生を戦いに生きた武人である。
信繁
信繁

徳川の陣を釣り上げた後は、全登殿……!

関ヶ原の戦いにおける、西軍のかくれもなき主力、宇喜多家。その重臣である。
関ヶ原の戦いを決したのは、言わずと知れた小早川秀秋の裏切りによってである。
しかし、全登の主家宇喜多家の所領は、
あろうことか最大の裏切り者秀秋に与えられたのだ。
明石全登の戦にかける思いは人一倍強い。
この明石隊が、戦を決する。
守りに徹し、敵を十分にこちらに引き寄せる。
その間に全登の騎馬隊を紀州街道方面より迂回させ、手薄となった徳川方の後方を衝かせる。
そして敵陣の最奥に位置する内府――。
家康の首を獲る。
これが信繁の策であった。勝永はその策を聞いて笑った。
明石はにこりともせず天主に祈りを捧げた。
明石はキリシタンであった。
信繁
信繁

いざ、参ろう

意を決する。程なく、開戦を告げる法螺貝が鳴った。
信繁は周囲を埋め尽くすばかりの徳川方を静かに見た。
信繁
信繁

静かなること林のごとくか。待つべし

真田の赤備えたちは、主に倣い、闘志だけをたぎらせて敵を迎え撃つ。
信繁
信繁

さあ、来い……。来い、内府よ

信繁は馬上で静かに敵の旗印が近づくのを待った。
だがそこに――
銃声が聞こえた。
信繁は目を見開く。
信繁は冷静に状況を見て取った。
先陣の一隊が、殺到する敵に、鉄砲を放ったのだ。
信繁の軍令が降るまで発砲しないことを申し合わせていたはずだった。
銃声をきっかけに互いの兵が我先にと突き進む。
瞬く間に――両軍は入り乱れた。
刀槍が翻り、種子島が火を噴く。
信繁
信繁

なんたること

敵の二陣はまだこちらに引き寄せられてはいない。
これでは明石隊が突入することはできない。
信繁は、己の嫡男、大助を呼ぶ。
少年という年では無いが、青年と言うにはいささか若い。
だが妙に大人びて見えるのは、真田の血故か。
大助はいかにも真田らしく、無骨な男である。
信繁
信繁

大助、大助!

大助
大助

どうした

信繁
信繁

用をたのまれてくれ

大助
大助

家康の首か?

不敵であった。このあたりの反骨も、真田らしい。
信繁
信繁

俺の名代として城に行ってくれ。俺はちょっと死んでくる

なんとも、勢いのあることをいったものである。
大助
大助

秀頼殿の首に縄をかけて、戦場につれてくればいいんだな?

信繁
信繁

御自らの意志で出陣なされなければ、意味は無い

大助
大助

わかった。親父

信繁
信繁

なんだ

大助
大助

死ぬ時くらい、髭を整えろ

そういって大助は、一人退いた。
今生の別れであった。
父が与えてくれた青春を、大助には与えてやれなかった。
信繁はそのことを思うと、やりきれぬ気持ちになる。
信繁は家臣たちに下知を下す。
信繁
信繁

戦は終わりだ

家臣たちは、信繁の言葉に意表をつかれる。
信繁
信繁

あとはよく戦うべし。我ら、すでにこの命の他に失うものはなく、城を破られようとも、合戦に負けるのにも構わず、無二無三に突きかかり、内府を討ちとらん

信繁
信繁

我らの勝ちはこれである!

乱戦の状況下、毛利隊も突撃を始めていた。
もはや策は尽きた。
なれば勝永も思いは同じであろう。
不思議と信繁は、晴れやかな気分であった。
真田隊は突撃した。
信繁率いる本隊を中心に、左右に先手衆や与力衆を配した構え。
魚鱗である。
狙うはたったひとつ。
家康の首なり。
赤い真田は、臣下一つとなってまっすぐに突き進む。
立ちふさがるは、松平忠直が一隊である。
昨年冬、大阪城南面での戦いにおいて、信繁は忠直率いる部隊を打ち破っている。
ともすれば因縁の相手でもあった。
天下の諸将が恐れる六文銭を、忠直隊は恐れることなく待ち構える。
信繁
信繁

見事なる武者振りよ

なんと若く、そして恐れを知らぬ男か。
信繁は、三河の松平が血統に、今更ながらに恐るべきものを感じてやまぬ。
信康、秀康、忠吉。そして内府徳川家康。
いずれも武勇知略に優れし傑物である。
そして、どうしようもないほどに、侍であった。
怪物的な血統である。
ただ右大将、将軍家の世継ぎ秀忠には軍才が乏しかった。
だがおそらくは、だからこそ家康は秀忠に継いだのではないか。
信繁はそのように考える。
家康はもはや、戦の先を見つめているのだ。
信繁の槍が翻り、その度に三河の侍が息絶える。
信繁は敵陣の中に、忠直の姿を探してみた。
あれなる若武者であろうか――
忠直を見つけた時、信繁の村正が、鞘の中でかちゃりと鳴った。
まるで意志あるもののように。この妖刀は、果たして弟の子を殺すのか、生かすのか。
血風渦巻く戦場を、赤備えは駆けた。
忠直率いる隊を突き破り、真田信繁は死地を走る。
後は決するだけの戦。
そう考えて弛緩していた徳川方は――
恐怖した。
いや――震えた。
敵は人にあらず。
例えるならば悪鬼羅刹。
戦国でもっとも敗北と勝利を知る三河の旗本達は、
火の玉となった赤備えを前にその本能を掻き立てられた。
―我こそがあの羅刹を討ち取らん。
我先にと殺到する三河の修羅達。
徳川方、家康の本陣は混乱し、丸裸となった。
信繁はその好機に、信じられぬ思いである。
それは――戦の場で見る幻なのか。
信繁の村正が引き抜かれた。
その刀身は純粋な意志を帯びてさらに剣先を伸ばす。
先手衆や与力衆が諸方の敵を相手にしている間に、
その隙間を縫って信繁本隊は家康本陣に肉薄する。
家臣たちはあるいは傷つき、あるいは倒れ、
もはや無事なものは一人もいない状態である。
だが信繁の心は、奇妙に冴えている。
信繁
信繁

…なぜ動かぬ

本陣には、旗が躍っていた。
厭離穢土欣求浄土。
後世「三河物語」において
『三方ヶ原で一度御旗が崩れたほかは、後先にも御旗が崩れたことは無し』
と記された旗である。
戦国の世。武将たちの掲げる旗は、いずれも粋であり、他にはない個性を見せる。
真田の六文銭は、あらゆる旗でも最も名高いそれの一つであろう。
一方徳川のこの旗は、なんとも地味である。
だがそこに刻まれた文字に、なぜか信繁は戦慄を覚える。
世に人は言う。
徳川は三河一向一揆を制し三河支配を決定づけた。
だがそんな徳川が、なぜ浄土真宗の言葉を掲げるのか。
その答えは実に単純ではないか。
信繁
信繁

一向一揆を討ち果たしたのではない。吸収したのだ

三河の民は、徳川家康こそが、この世に浄土をもたらすものと信じているのだ。
だからこそ、家康に忠節を尽くす。家康のために死ねる。
信繁
信繁

なんと恐ろしき男

信繁率いる本隊は、本陣に立ち並ぶ旗を次々と打ち倒していく。
だが、旗をいくつ倒したところで何になろう。
信繁は、周囲に目を凝らす。
信繁
信繁

内府……!

三河の兵たちは、一斉に殺到した。
信繁は厭離穢土欣求浄土の書かれた旗を、村正で叩き切る。
この旗を倒した男は天下にただ一人。
武田信玄――父昌幸が仕えた、天下に並ぶものなき武将。
三方ヶ原の戦いにおいて、家康は生死の間を彷徨った。
そして武田に仕えた真田の嫡子が、今ここに家康を追い詰めようとしている。
信繁
信繁

どこにいる……!!

信繁は、敵兵の刀槍の間に、ただひとつの首を求める。
どこにいる徳川家康。
信繁は――
一族の宿敵ともいえる家康を、恨んでいたわけではない。
憎んでいたわけでもない。
それは父昌幸も同じであった。
ただ徳川家康という男は――無性に挑みたくなる男であった。
例えば天下の民人のことを考えているのは、信繁と家康いずれであろうか。
家康である。
泰平の世を望むのはいずれであろうか。
家康である。
ただ己の意地だけで戦を続けているのは誰か…
それでも――
譲れぬものがあった。
真田信繁は男である。
男には譲れぬものがあるものだ。
尽く引き倒したはずの旗は、変わらず目の前に翻っている。
厭離穢土欣求浄土。
浄土を求める民の言葉……
それに対して六文銭は、ただ侍の意地を示すものでしかなかった。
だがそれがなんであろう。
信繁は、わずかに垣間見た。
翻る旗の向こう、その男はいた。
戦場の只中、その男は悠々と座していた。
その顔に不敵な笑みを浮かべて――
信繁
信繁

真田信繁は、己の人生に筋を通す!

信繁
信繁

おおおおお!!

村正は閃いた。
鋼色の稲妻となって――