★新発田重家

 ?~1587年。越後の国人で、北蒲原郡加地荘新発田の五十公野 城主。謙信の没後、御館の乱では景勝側に属したが、恩賞問題の不満から景勝を離れ、1581年頃、信長につき景勝と争う。1583年に西蒲原で景勝に攻勢をかけたりしたが、家康と秀吉の画策に巻き込まれ、1587年、景勝の攻撃を受けて自害した。