★薄田兼相

 ?~1615年。秀吉、のち秀頼に仕えて3000石を領する。大坂冬の陣では籠城軍の一翼を担い博労ケ淵の砦を守っていたが、遊女屋へ出かけている留守の間に襲撃を受け、幕府方から「橙武者」という不名誉なあだ名をつけられる。夏の陣では道明寺の戦いで汚名を雪ぐべく鬼神のような働きを見せたが、敵の銃弾の前に倒れた。