日本の一連の動きに対して、アメリカは
次々と輸出規制を行い、遂には日本の生命線とも言うべき
液体燃料の禁輸を行うに至ったのである。
日本は満州、中国北部など広大な領土を有してはいたが、
液体燃料の産出地域はほとんど含まれておらず、
国内の人造石油技術も実用化にはほど遠い状態であった。
しかし日本は海国である立場上、
米英に対抗する強力な艦隊は当時の世界情勢の中では
必要なものであり、燃料の備蓄も対米戦を見越して
2年分を有するまでに至っていた。かような状況下の中、
昭和16年12月の開戦を踏み切らせた要因はここにあり、
山本五十六連合艦隊司令長官に、
「1年ないし1年半の艦隊の活動が可能である」
と言わしめたのもこの事情による所である。