一方、アメリカも無傷で済んだわけではなく、
一時期は太平洋に作戦行動可能な空母が一隻も無いといった
危機的な状況に追い込まれもした。
しかし結局は造船、航空機生産、搭乗員の補充、
物資の補給など国力に関する全ての後方兵站の差で、
機も船も人も飲みつくす消耗戦に先に耐え切れなくなったのは
日本軍の方であった。
かくして、ガダルカナル島の放棄を決定した日本軍は
東部ニューギニアからも撤退しサイパン、グアム、
パラオを結ぶ防衛線を定めて持久戦に耐える体勢を整え、
これを守り抜く不敗の体勢を絶対国防圏とした。
真珠湾以来、楽観的とも言える短期決戦構想に基づいた
作戦を立ててきた日本軍の戦略は、
過酷な現実の前に崩れさったのである。