一方のアメリカ海軍は、
開戦劈頭に戦艦軍が叩かれて劣勢に回っていた。
しかし、新司令官となったニミッツ長官は、
日本が示した航空主兵の戦術を研究して、
残された3隻の空母部隊をフルに活用し、
1942年4月にはドーリットル大佐による東京初空襲を
成功させるなど、着々と反撃の体制を整いつつあった。
潜水艦部隊も魚雷が集積されていたフィリピンを攻略され、
魚雷不足に悩まされてはいたが、
石油やボーキサイトなどの戦略物資を
南部の資源地帯に依存する
日本のアキレス腱兵站線の遮断を開始する。
また、フィリピンで部下を見捨てて
オーストラリアに脱出した、
アメリカ陸軍マッカーサー大将も部隊の再編を急いでいた。"