そのような状況下で、アメリカは
本土爆撃の護衛戦闘機の発進基地として、
またB-29の緊急着陸用の基地として
硫黄島を手に入れんとした。
この硫黄島を巡る戦いは、
栗林中将率いる小笠原兵団の徹底した戦略的持久戦により、
寸土を争う激戦となった。
当初5日で同島を占領するとしていたアメリカの意図に反し、
35日間にも渡り戦い続けることになったが、
最終的には2万4千名の死傷者を出しつつも
硫黄島はアメリカの支配下におかれたのである。