硫黄島陥落の後、B-29による戦略爆撃は
同島より発進する護衛戦闘機P-51の助けを得て、
より一層その激しさを増していき、本土防空隊は
より過酷な戦闘を強いられることとなった。
1945年3月14日頃、そのような状況の中、日本軍は
アメリカの機動部隊がウルシー泊地を出港し、
九州方面に向かっているとの情報を得ていたが、
正確な侵攻方向は不明のままであった。
だがそれはアメリカ軍が、今まさに飛び石作戦の
最後の一石を投じる行動に他ならなかった。