その頃、日本においても航空機開発関係者の不断の努力により
長遠距離爆撃機富嶽を完成させ、長距離爆撃戦に対応を
とることが可能となっていた。また大陸方面の戦況は、
膠着状態を迎えていたものの大陸打通作戦を完遂しており、
日本は資源の内地輸送を船舶輸送に頼ることなく、
シンガポールからシャンハイ、プサンにまで続く鉄道輸送に
切り替えつつあった。そのためにもバンコク、ケイリン、
ナンネイの3拠点の確保は日本陸軍の至上命題であった。
そして1945年6月、アメリカ軍はレイテに上陸を敢行。
フィリピン攻防戦の幕は切って落された。
これに対し日本海軍は「捷1号作戦」を発動し、
戦艦を中心とした水上決戦部隊を、搭載機のない
空母機動部隊を囮にしてまでレイテ湾に突入させようとした。