有馬家

有馬晴信
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武将史実

武将史実

 元亀2年(1571年)父から家督を継いでいた兄の死を受けて、わずか五歳で肥前国野江城主となった。 龍造寺隆信の高圧的態度にやむを得ず臣従していたが、島津家と共に『沖田畷の戦い』で隆信を討ち取ることで龍造寺の重圧から解放される。 九州征伐においては秀吉に服従を示し所領を安堵され、『関ヶ原の戦い』では当初西軍に属したが惨敗の報を聞くと東軍に寝返り、小西行長の城を攻めた功で旧領を安堵されるなど、時に強引に、時にしたたかに立ち回って戦国の世を渡りきった武将の一人。しかし、慶長14年(1609年)、岡本大八による詐欺に遭い、大金をせしめられた挙げ句贈賄の罪に問われて追放され、死罪となった(『岡本大八事件』)。 南蛮貿易に熱心で、キリスト教徒として洗礼を受け、日本で始めての神学校を設立。転生10年(1582年)には大友宗麟らとともに天正遣欧使節をローマに派遣したなどの功績もある。

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