徳川家

南光坊天海
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武将史実

武将史実

謎の多い人物で、出自も生年も、定説はあるが子細は明らかにはなっていない。中には足利将軍落胤説も存在し、1561年に川中島の合戦を眺めていたとも、一時期は武田信玄に仕えていたとも、足利学校で学んだ経歴があるとも言われ、その多くは定かになっていない。また、その正体は明智光秀だったという説もある。 前半生は多くの謎に包まれているが、1590年、秀吉の小田原攻めの際は、家康の陣幕にいたとされている。その後、家康の厚い信頼を得て、関ヶ原の戦いの時も側に控えて参謀の役割を果たしたとも。 長命だったようで、家康に仕えた後は三代将軍家光に仕え、寛永20年(1643年)に没したと言われている。

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