
				 天下統一への布石を着々と固めつつあった尾張・織田信長は、天正十年(1582年)夏、家臣・明智光秀の謀反によって、山城・本能寺において命を落とす。
				 家臣・豊臣秀吉は、備中・毛利氏と講和を結び急遽帰還し、山城・山崎の地において明智光秀を討ち破る。
				 大義を果たした秀吉は、織田家内部で確固たる地位を占めるようになり、覇王への道を歩み始める。
				 しかし、家臣団の中には越前・柴田勝家、伊勢・瀧川一益、遠江・徳川家康のように彼の独走を快く思わない者も多く存在した。
				 あるいは、柴田勝家に従属する能登・前田利家のように、主君と秀吉との間で、揺れ動く立場の者もいた。
				 巨星が堕ち、大名たちの天下取りへの野心は再び燃え上がる。
			
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